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塾の教室はまるでドデカい貯金箱だった~BMW2人組、高級和牛焼肉店に行く

1999年に個人塾を開塾させ、奇跡のスタートダッシュで2000年には、60畳程度の教室空間での授業が、まるでどでかい貯金箱の中で授業をしているというような案配でした。座敷童子少年が、俺塾にかけた魔法が完全に解けるまでの数ヶ月間、俺は竜宮、あるいは桃源郷、あるいはアメリカのウェストコースト・パラダイスの住人でした。毎月の収入は、それまで正社員格で講師をやっていたときの夏と冬の賞与より多く、「毎月がボーナス月!」「どでかい金鉱を掘り当てた!」「英数理社国のゴールドラッシュやで!」「天上天下唯我勝ち組!」などと、今にして思えば、品性下劣な趣で叫んでいました。

俺は、環境に強く影響されやすい性分で、この時は、生徒1人ずつの背後に福澤諭吉が見えました。どの生徒も背後霊に福澤諭吉を2人ばかり連れて、俺の授業を受けているのです。嬉しくて楽しくて頭がおかしくなりそうでした。神奈川から友達が遊びにくると、高級和牛肉を提供する地元の焼き肉屋に連れて行き奢ってあげました。料金はいつも、2人で3万円でした。

友達は無職でしたが、お金には不自由せずに日々を過ごしていました。彼の親は毎月かなりの額の年金を得ていて、それがトリクルダウンを生み、甘い雫が彼の財布にしたたり落ちていたのです。彼の親から突発的に言いつけられた用事を、どうみても不要不急だろうというものであっても、緊急に着手し、速やかに完了しなければならないという縛りを引き受けさえすれば、あとは全くのお気楽な身分です。

彼は財布にしたたり落ちてきた甘い雫でBMWを購入し、満足げにドライビングを楽しむ日々を送っていました。父親の趣味である日曜大工での材料や道具を購入しに、父親と一緒にあちこちの店を回っては、駐車場にたたずむ濃紺のメタリックカラーの車体が陽光をきらびやかに反射させるのを目を細めて見やったりしていたのでした。俺がそのBMWを初めて見たとき、「この車はブルーサファイアの宝石箱や!」と言ったら彼は満足そうに笑っておりました。

そのBMWで高級焼き肉店に通った「絶頂焼き肉」は、人生を転落する人間には不可欠であるテンプレ的なエピソードだったなあと、今ではしみじみと思います。いかにも徒然草に載っていそうな座談です。それで、ちょっと作ってみました。

塾講師といふをのこありけり。茅葺きなる住まひに童どもを集め、読み書きを教えたり。忽ちのうちに盛りて大金を得たり。をのこ、友らを呼び、牛車を連ねて庵に参りたり。「あな、うまし」と口々にののしりては酒、庖丁を喰らふ。

秋来たりて、冬が過ぎつ。春には、かの住まひ、あまたの丈の雑草なむ蔓延る。をのこ、草むらのあさぼらけの露の消えるがごとく、ゐなくなりにけり。

いにしえの文にもありけむ、こは奢れる武士長者のごとくなり。いかなる時節にありといえどもよろづにつけ慎ましやかにあるべし。